中川昭一

また宋さんのブログですが,中川さんへの記事が出ていたので,コピペしました.
石川氏の件も出ていますが,昨日三木谷さんがTwittしてた朝青龍のこともそうですし,相手を大きく批判したり,飛び出た杭を一斉にたたきにいくような世論がおこることは,国民がそれぞれ自分に対して間違った忍耐をし続けていることも原因なきがします.
自分の幸せに対してより積極的に生きていければ他人への大きな批判に費やす時間が減ってきて,全体が良い方向に進むとおもいます.
何よりも,最近の自分がそうしてきてる様に思う...(我ながら良いですね^^笑)

※以下コピペですが,宋さんの所から消してくれと言われたら消します.


今も中川昭一さんに電話をかける
宋 文洲

友人中川昭一さんに私は今でも電話をかけます。もちろん留守電になっていま
す。私は無言で留守番電話の案内を聞き、そして無言で電話を切る。それだけ
なのですが、もう何回かけたか忘れたくらいです。

昭一さんとの共著「どうした、日本」(ダイヤモンド社)を読んでくださった
知人の多くから「マスコミから伝わるイメージと違う」、「意外と魅力的な人」
との感想をいただきました。私にしてみればこれこそ意外でした。あれだけテ
レビや新聞に露出してきた方なのになぜこれほど誤解されるだろうかと。

ローマでの会見は昭一さんに大きなダメージをもたらしたに違いありません。
しかし、自尊心と名誉を命以上に大切にしてきた彼にとって最も辛いのは、そ
の後綿々と続く侮辱的な世論でした。

日本はもっとベンチャー企業を育てないと産業の活性化がないと彼は真剣に思
いました。私が開催した外国籍(7カ国)ベンチャー経営者の夕食会に彼は飛
び込み、一人ひとりの経営者に質問して意見をメモしていました。もちろん、
夕食の支払いは彼のポケットマネーでした。

中川さんのノートをみた時の衝撃は今も忘れられません。分厚いノートにメモ
をびっしり書き、資料も貼り付けていました。アンダーラインや色付けもあち
らこちらにあり、まるで受験生のようです。

サブプライム問題が米国で爆発し、世界が金融恐慌にはまっていた時、中川さ
んは日本の金融政策を指揮していました。おそらく世界のトップレベルの金融
知識を持つ大臣は彼だけだと思います。

恐慌の最中に財務と金融の2つの大臣を兼任していた彼ですが、ちょっとした
油断で国に甚大な損害とパニックを引き起こす可能性がありました。巨大なプ
レッシャーと膨大な実務が彼の体を蝕みました。免疫力が低下した50代の昭一
さんは風邪を引きやすくなり、持病の腰痛が悪化していくのです。

世の中の会社が納会を終えた2008年の年末に、私の携帯に昭一さんから電話が
入りました。「宋さん、ずっと神経を張り詰めていたから今晩くらいは仕事を
離れてお酒を飲みたい」と。

私は共通の知人を誘って食事会に行きましたが、彼は腰の負担を減らすために
店から座布団を3枚もらってそれに寄りかかりながら食事をしていました。

落選後の昭一さんともよく会いました。私はチャーチルやトウ小平の事例を挙
げ、起伏のある政治家が歴史を変えると説得しました。しかし、同席のほかの
方々は、「あの時、結局飲んだのか」といつまでもローマの会見に興味津々で
した。

風邪を抑えるために風邪薬を飲み、腰痛を抑えるためにまた鎮痛剤飲み、その
うえ、ランチのお付き合いのワイン。後で医者から聞きましたが、知識があれ
ばこの3つの飲み合わせは絶対やってはいけないそうです。しかし、先入観と
色眼鏡の塊の世論は同情するところか、徹底的に彼に追い討ちをかけました。

昔の日本世論は知りませんが、今の日本世論は本当に狭量だと思いました。人
のミスと欠点は10倍に拡大してみますが、人の貢献と良さは10倍に縮小してみ
ます。

石川氏が逮捕されるニュースをみた時、私は目頭が熱くなりました。昭一さん
の欠点は過剰に名誉を重んじ、図々しさが足りないことです。そんなことを薄
々感じたのでしょうか、彼は私との共著中で「私は強く死を意識している」と
言いました。

日本がとても貴重な政治家を失ったことについては、中国人の私はコメントし
ようがありません。しかし、心から付き合った友人を失ったことについて私は
未だに納得していません。

昨日もまた中川さんに電話をかけてしまいましたが、留守電でした。きっと、
彼が私からの電話に気付き、いつものように「はい。中川です」と答えてくれ
ています。ただ、この世には雑音があまりにも大きく、彼の声がその中に埋も
れてしまいます。

ありがとうございます.
y.