言語の捉え方

バイリンガルしか出来ない人はあまりいない。。。
ってアンディーさんがいってました。(たまに行くお店で、一週間に七日はくるという伝説の常連さん。)
ざっくりと言うと「言語を意識しすぎてるだけであって、伝えたい意思と汲み取りたい意思が合致すればたいてい意思の交流は出来る」ということらしい。それに基づくと言語も共有出来るということだ。

しかしツールとしての言語は僕は別だと思う。
alcのサイトの様に、その単語ごとに互換性のある単語をリストアップしたり、戸田奈津子さんみたいに意味が違う単語を並べ替えてその表現を創造することが、ツールとしての言語の捉え方、、、
これは、技術を要することで、僕が車やバイクとか美容師の免許をもってることとにたようなものだとおもう。

つまりアンディーさんの言う所の「バイリンガルしか出来ない人はあまりいない。。。」と言うことはツールとしての言語ではなく、環境としての言語なのかなとおもい、この考え方でしばらく言語をとらえてみようと思う。

中学の頃の英語教師の江藤ジュンニチロウの教え方が嫌いで、苦手意識を払拭出来ないでいる英語は、環境も手伝ってここ数年はいい感じで身ついている。
ということは、、、僕は宮崎弁と東京弁と多少の英語が理解出来る。現在身近に感じているフランス語もそのうち理解出来る様になる、、、ということだ。嬉しい!(安直だけどね。)

もし、まったく理解出来ないままに一生を終えたらあの世で、アンディーさんに宮崎弁で説教してやる。
y.